アジアカップ優勝の周辺をウロウロと…5バックと日本人的メンタリティ

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君のアジアカップを逮捕する!

……の第五弾です。

前回までに引き続き、ザックの采配について私見を述べます。

概ね好意的に捉えられているであろうザック采配の中で、前回のエントリーで扱った前田の重用と同じくらい、あるいは、それ以上に批判的な評価を、よく耳にしたが、韓国戦における伊野波選手の投入でした。

宿敵韓国との一戦。前半の早い時間に今野選手のチェックがPKを取られ先制されましたが、前田選手のスーパー同点弾(←主観的評価です)で追いつき、延長戦に入ってから、本田選手のミスPKに対し猛烈に飛び込んでいった細貝選手が押し込んで勝ち越した、そんな展開でしたね。

その虎の子の1点(21における1点リードに対して「虎の子」って使い方をするのは合ってるんでしょうか?じもんじとー)を守るべく、ザックは伊野波選手を投入して5バックとしました。

噂によると、厳密には噂ではなく伊野波選手の証言によると、ダチョウ倶楽部もビックリなくらいの「聞いてないよ」状態だったそうです。芸人だったら逆にオイシいシチュエーションですね。

そのザック采配に対して、やれ「消極的だ!」とか、「弱気だ!」とか評価する声が少なからず上がりました。

もちろん、「聞いてないよ」状態だったことに対して、「練習でやってないことを、いきなりやるな!」って批判が投げかけられるのは万国共通の現象かと想像します。(尤も、そのように論難するのであれば、決勝戦で岩政を投入して長友を一列上げた采配についても、「たまたま結果的にうまくいったが、けれども!」ってネガティブに捉えなければ辻褄が合わないことになりますが)

その一方で、守備的な戦術に対して「弱気」「消極的」という条件反射的リアクションを示すのは、日本人に特異な現象なのかなぁなんて思ったのです。

ワタクシ、その昔、かつて所属していた部活の監督をボランティアでさせられた時期がありました。「暇があるときだけ練習を見て、試合のときはベンチに座ってろ」というタスクが課されていたんですね。

そんな名ばかり監督でも、選手交代は自らの判断で臨機応変にやらなきゃいけなかった。

そのときに、つくづく感じたのは、攻撃的な選手交代は監督にとって、あまり精神的なストレスを感じない行為だということです。一見、消極的にみえる采配の方が、よっぽど勇気が要る。多くの日本人の場合、攻撃的な姿勢に対してネガティブな反応を示しませんからね。逆に守備的な采配をして結果が伴わなかったときのリスクは非常に高い。そんな日には、何を言われるか分かりません。

でも、「攻撃的」をほぼ無条件に肯定し、「守備的的」を直感的に否定するというのは、日本人特有のメンタリティだと思うのですね。

例えば、10とか1点差で勝っている場合、多くの日本人は、「もう1点!」ということになる。しかし、これは、「もう1点取れそうだから取りにいこう」という強気な判断というより、「同点にされるのが怖いから、もう1点取って早く楽になりたい」という、極めて臆病な心理だと評価すべきでしょう。

ものの本によりますと、日本人というのは、世界的にみても、驚異的に臆病な人種なんだそうです。

例えば、旧日本軍は物量的に劣勢な状況下でも勇敢に突進していった、とされています。しかし、その本の著者によると、それは、絶望的なシチュエーションにおいて理性を失いパニックを起こした結果、ヤケクソになって、むやみに突撃した「蛮勇」に過ぎないとのこと。

本当に精神的な強さを持っていたなら、危機的状況においても、常に理性を失わず、その時々における最善の方法論を選択できるはずだ、と。

大変に耳の痛い分析ではありますが、非常に的を射た日本人論のように感じます。

確かに、「守備的な選手を自信満々に送り込む」ことができる監督って、日本人では余り思い浮かばないですよね、すぐには。

一方で、例えば昨シーズンのグランパスでは、1点差のゲームでピクシーは、何のためらいもなく千代反田選手を投入し、5バックにして逃げ切りを成功させていました。またオリベイラなんかも、拮抗した勝ちゲームで攻撃的な選手に替えて青木選手とかを投入することに躊躇がありません。

この差は、監督としての個人的資質というよりも、生まれ育ったバックボーンの相違のような気がします。

そう考えると、伊野波選手を投入して5バックに移行したのも、ザックの主観的には、ごく常識的なことをしているに過ぎなかったのではないでしょうか。練習でやらずにぶっつけだったのも、「いちいち練習でやらなくても、サッカー選手ならば当然のこととして日頃から、やり慣れているでしょ」みたいな感覚だったのではなかと。

しかし、率いている監督はカルチョの国のメンタリティの持ち主だとしても、実際にプレーしている選手は、それに対してネガティブな評価を下す社会的風潮のもと、守備的な戦術に対して余り馴染みを持たない日本人なのですね。選手の主観的には、「そんな大胆な戦術(=守備的戦術)をやるなら、せめて普段から練習させてくれよ」って感じたのかもしれません。

ここの「守備的に戦う」という部分に対する意識の差、日本人に特異なメンタリティについて、驚くほどのスムーズさで異文化に溶け込んだザックをして、唖然とさせる出来事だったのではないでしょうか。

この辺りは、ザックにとっても宿題の1つなのかもしれません。