DNAと道ばたの桜

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昨日、25日・29日に予定されていた代表のモンテネグロ戦・ニュージーランド戦の中止が正式に発表されましたね。ニュージーランド戦については、場所を長居に移し、Jリーグ選抜とのチャリティマッチに装いを改めて開催されるとのこと。

協会の判断に対して概ね好意的に受け止められているようです。あれこれ「倫理」という名を借りて、ごく主観的な「正義」を振りかざし、協会の右往左往を揶揄したり批判したりする意見も見受けられましたが、奈良時代以来の大地震であり、被害の範囲という意味では近代日本が一度も経験したことのない非常事態です。

何が正解かなんて誰にも分からない状況の中で、協会が協会なりに必死に「右往左往」した上での結論ですので、その「右往左往」には最大限の敬意を表したいと思います。なお、本エントリーにおける「右往左往」は、「何が正解か誰にも分からない中で、各人が最善を模索し、必死に試行錯誤する」ことのメタファーです。そして「正義」とは、(他者の幸福のためでなく)他者を非難することで自らの空虚な満足感を得るための道具として用いられる一面では正論らしく聞こえる言説、という意味で用います。

その上で、それでも「こうして欲しかったなぁ」という私見を述べたいと思います。

ワタクシが密かに期待していたのは、

「予定されていた代表戦(あるいは、その代替マッチ)を、神戸でできないだろうか」

ということです。

弊ブログでは前エントリーで、今回の震災について感想を述べました。それを読んだ、同じスポナビブログの「束の間の夢」さんが、呼応するように素晴らしい記事をお書きになってます。逆にワタクシが沢山の示唆を頂き、本エントリーは、「束の間の夢」さんへの「お礼のお礼」に相当します。

詳しい内容は、「束の間の夢」を読んでいただきたいのですが、テレビドラマで典型的に描かれたように、やはり「神戸」というのは、現代に生きる日本人にとって復興のシンボルなんだと思うのです。

ここで重要なのは、「被災」のシンボルではなく、「復興」のシンボルだという点です。「被災」という消えない爪痕を抱えながら、それでも市民の1人1人が歯を食いしばり、それを直接的にはボランティアの皆さんが必死に支え、さらにその外周から多くの国民が有形無形のパワーを送り続けた。そして、神戸は見事に「復興」した。それらのプロセス全てが、「神戸の奇跡」なんだと思います。我々が神戸に思いを馳せるとき、「瓦礫」と「新たな街並み」の二つの風景が同時に浮かび上がるでしょう。

小倉会長は「『東京、日本は大丈夫だ』と世界に伝える意味でも今こそやるべき」と、国立開催に意欲を見せていたそうです。賛否両論ある意見だと思いますが、世界に向けて、「日本の現在」をメッセージとして伝えることの意味は少なくないと思います(繰り返しになりますが、「「倫理」という名を借りて、ごく主観的な「正義」を振りかざして他者の右往左往を一面的に批判する」ことが最も「非倫理」的な行為です)。

しかし、計画停電が首都圏に混乱を巻き起こしていること(ワタクシもまいっています)、現時点で絶対的な安全性が確保されているとはいえ、福島原発の「右往左往」を鑑みたとき、外国の友人を招くには、若干の躊躇があることなどを考え合わせれば、東日本での開催は難しい(結果的には西日本でも首を縦に振ってはくれませんでしたが…)。それで、長居となった。それは分かる。でも、なぜ長居じゃなきゃいけなかったのか?

おそらく種々のインフラ的な問題、スケジュール的に使用が可能か、などの要素があるのだと想像されますが、もし仮に万一、「神戸」という選択肢が、協会の人々に全く発想として挙がらなかったのだとすれば、少し残念だったりします。

「復興」の象徴である神戸で代表戦を行う、これは世界へのメッセージであると同時に、被災地へのエールになるのではないか、そう思いました。

20世紀前半の日本は、東アジア・東南アジアに軍隊を進駐させ、アメリカからの強烈な返り討ちに遭うという帰結を迎えました。国土全体が焼け野原となったところから始まった戦後日本は、光陰ありますが、1980年代末にはジャパンマネーが世界を席巻するに至りました。「戦後日本の歴史」は、そのまま「瓦礫からの復興の歴史」に置き換えられます。

そして、前エントリー、本エントリーで繰り返し述べてきたように、高速道路が崩落した神戸は、いまやかつての輝きを完全に取り戻しています。

「復興」というプロジェクトに対し、日本という国は抜群の実績を誇る国であり、日本人は絶対的な自信を持っています。過去の経験を信じて、自らのDNAを信じて、1人1人が必死に「右往左往」し、それを応援していきましょう。そこに必要なのは(独りよがりな「正義」などではなく)「思いやり」「想像力」です。

そして、今回の困難を、曲がりなりにも乗り越えた暁には、より一層強固になった、我々のDNAを、次の世代、その次の世代に伝えていかなければなりません。

週末、震災報道一色だったテレビをザッピングしながら見続けていました。その中で、これまでも一度ならず津波の被害を受けてきた東北地方太平洋岸地域の歴史を振り返っていたのですが、あるコメンテイターの方が、

広島平和記念資料館や、ひめゆり平和祈念資料館など、戦争の惨劇を伝えるハードは、ある程度しっかり整えられていて、後世に悲劇を伝えるインフラが整備されている。それに対して、地震津波を次世代に対して確実に伝えていくノウハウが、あまりにも未成熟なのではないか」

と仰っていました。

〈知っておく〉〈アンテナを張る〉を維持し、〈忘れない〉〈風化させない〉ことが大切だと前エントリーで述べましたが、もっともっと大切なのは〈伝える〉ことでしょう。

それは、放っておいても勝手に伝えられていくという性質のものではありません。やはり、教育なりインフラなりがシステムとして成立していなければ〈伝える〉は実現しません。とはいえ、博物館を作るとか、そういったことにはお金がかかります。一番偉い人とその愉快な仲間たちに委ねるしかありません。

しかし、我々「名もなき市民」にもできることがあるのではないか、とも思います。その、最も素晴らしい成功例が、前エントリーで軽く触れた「神戸讃歌」ではないでしょうか。

あの歌を神戸サポが歌うだけで、我々Jリーグサポーターは、「1・17」を思い出すことができます。「1・17」を思い出せば、それを子や孫に〈伝える〉こともできます。「神戸讃歌」には、資料館や博物館と同じくらい、忘れてはならないことを、次の世代に〈伝える〉機能を持っています。そして、その機能を再生産させ続けるのに、莫大な資金は必要としないのです。

ベガルタ仙台は、選手入場の直前に「カントリーロード」を奏でます。復興した故郷の思いを代弁するのに、なんとも相応しい曲なのではないか、なんて思います。

今朝、地震以降初めて通った道があります。一週間見ていないうちに、早咲きの桜が咲いていました。

それでも桜は咲くのですね。

桜は春の象徴です。

春は始まりの季節です。

そして始まりは、未来であり、希望です。

東北地方には4月の中旬からGWにかけて桜前線が到来すると聞きます。

その頃までには、1人でも多くの人が桜を瞼に焼き付けられる、そういう環境に恵まれてますように。