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サッカーにおける送りバントって、何ですか?

このシリーズのとで、「日本人にとっては、たかがサッカー。だから、サッカーのために国民性を変えることは不可能」みたいなことを述べました。次に解決しなければならないのは、日本人にサッカーは向かないのか、という問題になるかと思います。

個人的には、気取って比喩的な表現をするならば、「football」には向いていないだろう、と感じています。意味がわからないですよね?

順次、考えを述べていきたいと思います。

よく野球と比較してサッカーを語るという方法論があります。それに対して、条件反射的に、「競技が違うからナンセンス」なんて批判の声が上がったりしますが、そんな批判には耳を塞いで「ワワ!」叫びつつ、ワタクシも何度か、野球との対照でサッカーを語ってきました。今回も懲りずに野球ファンとサッカーサポーターの両方から「素人のくせに!」と非難されることを覚悟の上で、野球との対照をしたいと思います。

日本って野球、強いですよね。アメリカにやる気がないというファクターもありますが、世界一だったりします。なぜでしょうか?

フィジカル的には、プエルトリコとかにはかなわないですよね、たぶん。

155キロのストレートを投げられるピッチャーや、155キロのストレートを場外に運ぶパワーのあるバッターの数を比較すれば、世界で上位にくるとは思えません。

でも勝っちゃいますよね。キューバとかにも。

なぜ勝てるかというと、送りバントがやたらと上手だったり、ノースリーから平気でフォークボールを投げたり、100で勝っている試合でスクイズしたりとか、そういう積み重ねが、差を作っているんだと思います。

メジャーリーガーから見れば「そんなもん、baseballとは言わない」ってなモンでしょう。そうなんです、原辰徳ジャパンは「baseball」なんて最初からやってないんです。彼らがやっていたのは「野球」なんですね。

20世紀の初頭か、それより少し前の時期かに「baseball」が輸入されました。

確か、島崎藤村だかフジムラだか誰かが「野球」って訳語をあてたんですよね?

それから100年とか150年とかの間、何世代にも渡る膨大な数の人々が「baseball」に熱狂してきました。いろんな青春が甲子園を志し、グランドに落ちているお金を探し求めた様々な人生がありました。

そして、野球に関わってきた全ての人々がその人なりに、数え切れないほどの試行錯誤を繰り返すなかで、100で勝っている試合のノーアウト・ランナーなし、ノースリーからフォークボールを投げるスタイルが築かれるに至った。

もはや、これは輸入品たる「baseball」ではなく、ジャパニーズスタイルの「野球」なわけですね。

「baseball」の日本化に成功したことで、「野球」は国民的スポーツとなり、今のところ世界と渡り合えているんだと思います。

「football」には向いていない、と述べたのは、ヨーロッパから輸入された競技を、そのまま輸入品として扱っていても、強くならないのではないか、という意味です。

「baseball」と「野球」の例えに従うなら、「football」を「サッカー」にしなければならないのではないか、ということです。「soccer」とすると、「アメリカ的football」という意味になりかねないですし、「蹴球」とすると余りにも狙いすぎな感じが出てしまうので、カタカナの「サッカー」。

オシムさん的に言えば、「日本化」ですね。極端な話、それが「ガラパゴス化」であっても構わないと思います。

で、どういうフットボールが「サッカー」なのかと申しますと、トータルフットボールの真逆を行けば良いんじゃないかな、と。

世界に冠たる日本文化といえば、いまやアニメやゲームなどのオタク文化ですね。聞いた話によるとオタクの定義って、「普通の人が気にしないような微細な差違に、極めて大きな価値を置く人たち」なんだそうです。

簡単に言うと、「そこまでこだわらなくても良くね?」ってことに異常に執着する人のようです。ならば、日本人って全体的にオタクですよね。

トヨタは安全オタク、家電メーカーは品質オタク。そう考えると、オタクと職人って、ほとんどおんなじですね。こだわり消費派がオタクで、こだわり生産派が職人。

何が言いたいかと申しますと、

日本人気質=オタク=職人

ではないか、っつうことですね。そして、サッカーにおいて「職人」は「オールラウンダー」の対義語かと思います。そこで、「トータルフットボールの真逆」となるわけです。

「守備のできる攻撃陣と攻撃のできる守備陣」が「みんなで攻めて、みんなで守る」よりも、「守備の職人が守備をして、パスの職人がアシストして、シュートの職人が点を決める」という役割分担サッカーの方が、日本人に適しているのではないかと思います。

シュートの職人を輩出できるのか、一抹の不安もありますが、そっちの線を追求してみても面白いのではないか、というのが本エントリーの結論になります。

ここまでの3回は延々と抽象的な話をしてきました。次回(このシリーズ最終回)は、思いっきり、具体的と言えば聞こえはいいけど、俗っぽいだけじゃね?みたい話をするかと思います。