ツールとしてのサッカーWCとヒデ・本田対談の周辺をウロウロと…

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ワールドカップという喧騒が過ぎると、祭りの後の寂しさとともに、何とはなしの違和感も感じます。その辺のことを。ちなみに「ヒデ・本田対談」は、またの機会に触れますので、今回は出てきません。

皆さん、W杯は見ましたか?

スポナビさんのブログをチェックされている方は、当然ご覧になられたものと思います。スポナビブログは見るけど、ワールドカップを観戦することには興味がない、という人は、いたとしても、ごく少数かと思います。

では、2006年からの4年間、ずっと日本代表の試合を、可能な限りチェックしてきた、という人はどれくらいいるでしょうか。

スポナビさんの弊ブログをご覧の皆様方は、結構そんな感じかと思います。ただ、今回のワールドカップの日本戦を見た全日本人(日本在住者)のうち、4年間、代表をチェックし続けてきたって人は、少なくとも「圧倒的な多数派」ではないような気がします。

かくいうワタクシも、サッカーに関しては「Jリーグおたく」なので、代表についてもテレビ観戦くらいはします。ただ、例えば、今年の冬、眠い目をこすりながら冬季オリンピックを見ていましたが、その一年前の冬にスキーなりフィギュア以外のスケートなりをチェックしていたか、と言われると、「ごめんなさい」以外の言葉が見つかりません。

何が言いたいかというと、「ワールドカップを見る人」と「Jリーグを見る人」は、基本的には母体が異なるのではないか、ということです。

「いまさら、そんな当たり前のことを…」

とツッコまれそうですが、ありきたりの議論の蒸し返しに、お付き合い頂ける方がいらっしゃいましたら嬉しいです。

さて、では、なぜ「ワールドカップを見る人」と「Jリーグを見る人」が一致しないのか?

アングルを替えましょう。

例えば、代表チームがワールドカップで健闘すれば、Jリーグの人気も、目に見えて向上するのでしょうか?

更に言い方を変えれば、日本代表サポーターは潜在的なJリーグサポーター予備軍と言えるのか?

この点、ワタクシは甚だ懐疑的です。

「ワールドカップで(のみ)サッカーを見る人」は、「サッカーを見る人」ではなく、「ワールドカップを見る人」なんだと思うんですね。

極端に言えば、たとえ日本代表がワールドカップなどで、どれだけ奮闘しても、彼らの脚がJリーグのスタジアムに伸びることはないのではないか。1試合や2試合は見に来るかもしれないが、「スタジアムの住人」として定着するのは、ごく少数なのではないかと感じます。彼らの目的は「(質の高い)サッカーを見ること」ではなく、「お祭りを楽しむこと」にあるんだと思います。

少し視角を変えます。

皆さんは高校サッカーの冬の選手権って見にいきますか?

ワタクシは、年に12試合、一応、見に行くことにしています。そして、その度に感じるのが、「選手権の観衆って、Jリーグの客層とは完全に別物だな」ということです。母体そのものが明らかに異なる。

端的に述べますと、選手権のスタンドには、普段Jリーグの試合にゃ、おそらく絶対に通ってないだろうと思われる、おっちゃん・おばはんが大量に出現します。なぜ、このような現象が発生するのか。

それは、そこに集まる人々の感覚では、冬の選手権が、「○○県人会△△回集会」として機能しているからだろうと思われます。

自分の出身校であったり、自分が若い頃に慣れ親しんだ近所の高校だから、ある種のノスタルジーと言いましょうか、郷土愛と言いましょうか、単純な「(かつての)ご近所さんのお付き合い」と言いましょうか、そういった契機によって、人々がスタンドに集結するんだと思うんですね。

「ワールドカップだけ見る人」と「冬の選手権だけ見る人」の共通点は何か?

それは、サッカーがあくまで1つのツールでしかない、ということです。

「ワールドカップだけ見る人」にとって重要なのは、「お祭りを楽しむこと」であって、たまたま競技がサッカーなだけという話かと思われます。別にサッカーと同じくらい世界的に盛り上がるのならば(そして「ニッポンがんばれ」感を不特定多数と共有できる環境が成立しているのならば)、競技はラグビーであっても、セパタクローであっても、叩いてかぶってジャンケンポンであっても、基本的に構わないはずです。

一方で「選手権だけ見る人」の目的は、「ふるさとを再確認すること」。サッカーは、そのための一手段以上のものではないでしょう。仮に、甲子園が東京にあったとしたら、甲子園のスタンドと国立のスタンドの客層は、かなりの確率で一致することが予想されます。

何が言いたいかと申しますと、要は、ワールドカップなり冬の選手権なりを通じてサッカーに接する人々(そして、それは恒常的な日本代表orJリーグサポーターの何倍もいる圧倒的多数派)にとって、「サッカーという競技そのもの」は、さして重要ではないんじゃないか、ということです。

極端に言えば、日本でサッカーに群がる人々のうちの相当数は、「サッカーそのもの」に何ら興味がないんだと思います。ましてやワールドカップや選手権にさえ興味を示さない多くの人々については、言を重ねる必要もないでしょう。

つまり、圧倒的に多くの日本人にとって、サッカーは生活の一部でも何でもなくて、「たかがサッカー」なんですね。この「たかがサッカー」という言葉が、このシリーズ第二弾のキーセンテンスになります。

続く。