浦和vs清水(5/30)の周辺をウロウロとしていたら、宮城での出来事を思い出したので、その辺のこととかを…

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本日、6:00起床です。特別早くないですね。いつもより1時間早く起きて、30分遅れて家を出れば、駆け込みセーフ。多少のアウトなら許してもらえることも折り込み済みです。これぞ大人の流儀(?)←「かっこ・はてな・かっことじる」と読みます。

私にとって日本vsデンマークは、6:157:50まででした。地デジ万歳、ハーフタイムには便利な「skip」機能を使いましょう。

テレビを付けた途端、みのもんたに結果を教えられてしまわないように、教育テレビにチャンネルを合わせた上でスイッチオフして眠る、これまた大人の流儀です。

祝!! そして viva!!

このタイミングならば、多少の浦和批判をしても、皆様きっと優しくスルーしてくれるに違いありません。

先週のエントリーの続きです。

浦和サポーター(の一部)が宮城スタジアムで行った問題行動のうち、差別発言についてを取り上げます。

この点について、前提として確認しておこなければならないのは、残念ながら、(日本を除く)東アジアの人々を蔑むことでナルシチズムを充足させたがる日本人は、ある程度の割合で普遍的に存在しているという事実ですね。

だから、浦和のサポーターの中に「そういう考え方を持つ人がいる」というのは、ある意味、日本社会の縮図でしかない。

そう考えますと、基本的に浦和というクラブ、そのサポーターの責任は、「その一部の人たちの暴走を止められなかったこと」に限定されるべきだと思っています。

ただし、状況によっては、浦和のクラブやサポーター全体としての責任を問われなければならない局面も想定できます。

まず大切になることは、暴走したサポーターを本当に「一部」として切り捨てて良いのか否か、です。おそらく、実際に暴走したのは「一部」だとは思うんですが、その一部の人たちは、なぜ差別発言を実行したのか(できたのか)、ということですね。

仮に、その人たちが普段から、そういう扶桑社の教科書的な思想をお持ちの方だとして、彼らは、スタジアムだけでなく、辺り構わずに差別発言を広言している人なのか?

だったら、もう、どうしようもないところです。

ですが、普段はそのような発言を自重している人だとすれば、それはつまり、あの空間に、差別発言を助長あるいは許容する雰囲気があったことを意味しやしないだろうか。

更に、普段は特に差別的思想を持っているわけではない人が、あの空間にいることで、報道されているような発言をするに至ったのなら、問題はより深刻です。この場合、浦和のゴール裏に、差別的意識を人に植え付ける何かがある、ということですから、浦和のゴール裏全体の構造的な問題と言わねばならなくなります。

もちろん、あくまで「一部の暴走」だとは思いますが、厳しく見れば、「一部ではない」サポーターも、全くの無罪とは言えない余地も無くは無いのかな、と。

さて、「それとこれとは別の問題だ」ということは重々承知しておりますが、浦和のサポーターは、以前にも、いくつかのトラブルを起こしていますよね。もちろん相手があってのことなので、一概に「浦和はトラブルメーカーだ」とは言えませんし、他のクラブに同じような問題が全くなかったわけでもないでしょう。

そんなことよりも、ワタクシが気になるのは、例えばガンバ絡みのトラブルを起こした人たちと、今回の人たちが同一人物、あるいは同一のサポーターグループなのかどうかどうか、という点です。

同一とするならば、まさに浦和というクラブには自浄能力がないということになります。

一方で、仮に同一主体ではないとしますと、浦和のゴール裏には、そういう行動をしたがるような人たちを再生産する何らかの構造があるのではないか、との疑いが出てきます。

例えば、そんなことはないかと思いますが、トラブルの中心人物がコールリーダーであったり、サポーターグループの中核的存在だとすれば、浦和のゴール裏には「問題を起こすようなヤツが出世する」という構造があるということになりますよね。

つまり、問題を今回おこした人たちに対し周囲の人が、「普段はそういうことをしないコなのにね」とか、「浦和サポになる前のアイツは、そんなことするようなヤツじゃなかった」みたいな印象を持つような状況でしたら、多少なりともサポーター全体の問題として認識しなければならない側面も出てくるんじゃないか?

そして、「浦和のゴール裏って、ああいうタイプがリーダー的存在になるよね」という状況だとすれば、深刻にゴール裏の体質をもう一度見直してみる必要性もあるんじゃないか?

そう、思うということです。

なんか話がまとまらないので、もう一度まとめますと、

差別的発言をした当事者が、普段からそういう考えを持っている人で、周りの影響とは全く関係なく、いつも通り、差別的発言をしたに過ぎないのであれば、浦和のサポ及びクラブの責任は、「抑止力になれなかった」ということに限定される。

普段はそういうことを表現したり、発言したりしない人が差別的発言をしたとするならば、ゴール裏全体の雰囲気に、何らかの問題があった可能性も発生する。

差別的発言をした当事者がゴール裏の中核的存在だとすれば、そういうものの考え方をしている人のイニシアチブを容認しているクラブ、サポーターには、多少なりとも反省すべき点があるのかもしれない。

こんな感じでしょうか。

もっとまとめれば、暴走したのは一部としても、ひょっとしたら、そのような暴走を見えない形で後押ししたり、容認したりするような雰囲気を、「その他の善良なサポーター」も無意識的に作り出していた可能性もあるんじゃないか、という内容でした。

さて、パラグアイ

待ってろチラベルト(?)←「かっこ・はてな・かっことじる」と読みます。