浦和vs清水(5/30)の周辺をウロウロとしていたら、宮城での出来事を思い出したので、その辺のこととかを…

                                  にほんブログ村 サッカーブログへ
にほんブログ村

多少なりとも他人の神経を逆撫でしかねないことは、喉元すぎて十二指腸あたりに到達してから語りましょう、みたいな。

5月の末に埼スタに行って、浦和と清水の試合を観戦してまいりました。いつもながら、浦和美園駅から埼スタまでって、歩くには少し遠いですよね。

しかたないので、ウダウダと歩くわけですよ。周囲を見渡すと赤いレプリカ5割、私服4割、オレンジのレプリカ1割くらいでしょうか。ちなみに、試合開始1時間前くらいに浦和美園駅に着きました。Jリーグ開催日の、日常的風景。

ゴール裏に陣取られるタイプのサポーターの方々は、とっくにスタジアムに突入されていて、喫煙休憩とかの時間かもしれないですね。そういう意味では、少しノンビリした感じの浦和サポーターの皆さんに囲まれながら、浦和美園駅から埼スタまでの長い道中を小旅行してました。

レプリカを見ていると、特に女性は阿部選手とか、鈴木啓太選手のユニが比較的目立ちました。

「なんだよ、結局は男前が良いのかよ!」

と、中学生ばりに年甲斐もないスネかたをしながら歩いていたわけですが、

「いかん、雑念を捨てよう」

と、他のことを考えることにしました。そこで、ふと思い出したのですが、浦和サポの中に、仙台方面でトラブルを起こした人たちがいましたよね。

あの事件については、実はいろいろ、知っておきたいことがあるんですよね。

まず、座席の破損について。

これって、どうゆう行為の結果として発生したんですかね?

イスの上に立って応援したから壊れたんでしょうか?

だとしたら埼スタでは座席が壊れないのは何故?

埼スタのゴール裏座席は、その上で飛び跳ねても大丈夫なくらい頑丈にできていて、宮スタはデリケートに出来ているってことですか?()

それとも、ホームではイスの上には立たないけど、アウェイでは、それをやっちゃうってことですかね?()

或いは、「座席の破損を目的とした、そのためだけの行為を行った」ってことなんでしょうか?()

この辺りの事情が解らないと、なんとも判断できないところです。

であった場合、「いい加減に、イロイロと学習しましょうね」という教育的指導で済ませてもよいのかもしれません。

であったとしたら、少し良識を疑わざるをえないですね。自分のものと同じくらいに他人のものも大切にしましょうね。

については言語道断といいますか、もはや「過失」ではないですよね。完全な確信犯。クラブが独自に処分とか、Jリーグとして処分とか、そういう問題ではなく、普通にお巡りさんに処理してもらわないといけない事柄ですよね。

ただ、の場合、応援スタイルに深く関係することなので、もし、そうであったなら浦和のクラブあるいはサポーターの責任も出てくるかと思います。

他方、の場合、相当数の人間が集まれば、中には、アウトローな人も発生しますし、例えば日本人社会に罪を犯す人がゼロではないからといって、日本人全体が何らかの責任を取らなければならないわけでもないので、逆にクラブ、サポーター全体としての責任は、に比べて小さいのかな、と。

クラブ、サポーターには「暴走を抑止できなかったこと」だけ反省してもらって、あとは単純に当事者をとっつかまえて、法の裁きに委ねれば済む問題のような気もします。

次に、バスを取り囲み、「オ○ニ○サッカー」みたいな汚い言葉を浴びせかけた(らしい)件。

これについては、不謹慎ながら、「浦和サポーター的に、その辺は首尾一貫しているよね」と感じました。

ちゃんと調べたわけではないですが、浦和の観客動員数のピークは、ブッフバルト時代ですよね、たぶん。或いはオジェック時代かもしれませんが、少なくともフィンケ政権への移行後、浦和の観客動員数は、微減傾向ですよね。つまり、ブッフバルト時代にはスタジアムに駆けつけていたが、フィンケになってからは現場を離れていった人たちが少なくないということです。

では、ブッフバルトの時代には存在していて、現在の浦和にはないものって何でしょうか?

恐らく「強烈な個」と「結果(白星の数or黒星の少なさ)」ではないかと思われます。要するに、少なくない数の浦和サポーターは、「内容よりも結果」という志向性を持っていると考えられるわけですね。そういう意味では、ブッフバルト時代のレッズを支持しておられる方々が、フィンケのサッカーに不満を持つこと自体は、筋が通ってるんですね。

もちろん、不満の表現方法は大問題だったわけですが、「内容が悪くても勝つのが浦和だ」という考え方そのものは、それで構わないと思います。

繰り返しになりますが、問題は、その表現方法です。この点については厳しく非難されてしかるべきでしょう。自戒の念も含めつつ、「言葉のチョイスに気を付けましょう」と書いておきます。

もっとも、ブッフバルト時代には「内容が悪い」と批判していたのと、同じ当人がフィンケに対し「結果が悪い」と詰問しているとするならば、「どないやねん!」とツッコミを入れざるをえないですが。

最後に差別発言についてですが、くたびれてきたので、また記事を改めて意見を述べます。