日本サッカーの成長期、の周辺をウロウロと…

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性懲りもなく、代表に関する内容でございます。

前回、

Jリーグは大して進歩していないのだから、代表の成績が伸びないのも仕方なくね?

って趣旨の記事をアップしたところ、大変に勉強になるコメントをバシバシいただきました。

大まかに総合しますと、

「代表を応援するにあたっては、〈前回の成績を越えて欲しい〉と言う期待を持つものだ。それは古今東西を問わない、自然な感情じゃないだろうか。」

といった感じのご意見が強いようです。

全く以て、仰る通りでしょう。やはり、「昨日より今日、今日より明日、明日より明後日」という気持ちは、皆さんお持ちのことだと思いますし、その気持ちをなくしたら、未来永劫、日本サッカーの発展はないでしょう。

ただ、その一方で、

「そんな右肩上がりの成長なんて世の中に存在するのだろうか?」

「右肩上がりの成長は、努力次第で、いつでも実現可能なのだろうか?」

なんてヨコシマな思いも浮かびます。

ワタクシは歴史にも「現代○○学」とかにも、まるで詳しくないので、以下に述べることは、いつもながらの素人の戯れ言です。厳密にいうと、いつも以上の戯れ具合です。

一言で述べれば、日本人は「右肩上がり願望」が強すぎるんじゃなかろうか、ってことです。

無知を顧みず無謀にも歴史を振り返ってみますと、ペリーさんが、黒船に乗ってコンコンと日本の扉を開けて以来、日本って国(「〈国〉って何だ?そもそも国民国家たるものは…」みたいな、難しい議論はパスです。ついて行けませんので。)は、比較的最近まで、偶然にも奇跡的に「右肩上がり」を維持し続けることができてしまったんじゃないかと思うんですね。

もちろん、世界恐慌だとかイロイロと一進一退を繰り返してきたとは思いますが、全体的にザックリみますと、戦前は「不平等条約をのまされる国」から、「(当時の)国連の常任理事国」に登りつめる「右肩上がり」の過程だったと思います。

それが、1945年までの数年で一切合切リセットされてしまった。

「振り出しに戻れ」状態になったことで、今度は、経済大国への道を「右肩上がり」に歩み出し、好況不況を繰り返しながらも、巨視的には「高度成長」的な状況が1990年くらいまで続いた。

つまり、1945年という不幸な偶発的リセットの存在によって、近代日本は、120年もの「右肩上がり」を継続的に経験することになった。

その結果、日本人は「右肩上がり=日常的状態」とい無意識の前提を共有することになったんじゃないかと思います。

この辺りの事実認識については、イロイロと苦言を呈さざるをえないと、お感じの識者様方もいらっしゃるでしょうが、話を続けます。

ワタクシは、人間の身長が18歳くらいまでしか伸びないのと同じで、何事にも、成長期って限定的な期間にしか訪れないんじゃないかな、と思うんです。

経済的に見れば戦後日本の成長期は、もはや過ぎ去ったと個人的に思ってます。「高度成長」を懐かしむのは、オッサンが青春時代を懐かしむのと同じで、ないものねだりに過ぎないんじゃないかなと感じるんです。「失われた10年」なんて言葉は、「もはや日本の経済的成長期は過ぎ去った」という事実から目を逸らすための悪あがきのように思えてならない。ええ、個人的感想ですよ。

・・・えと、サッカーの話に戻します。

日本のサッカーを振り返ると、Jリーグ開幕をインパクトとする成長期がありました。

その結果、日本は「WCを夢見る国」から「WCで夢見る国」へと成長しました。

ただ、個人的に思うんですが、そのような成長期は、とっくに終わっているのではないでしょうか。

Jリーグ開幕による高度成長期は、フランスWC出場という果実をもたらしたところで、幕引きしたのではないだろうか、と思うんです。

そして、図らずも日本経済と同じように、「日韓大会とシドニー世代」というバブルがやってきた。

そんなバブルはドイツで完全に崩壊した。

いまの日本サッカー界は、「右肩上がり」でもない、「バブル」でもない、「普通の日々」を送っているんだと思います。

先に、何事も人間の身体と同じと申しましたが、決定的な違いもあるかと思います。

それは人間の身体が大人になったら、まず身長が伸びないのに対し(体重は右肩上がりだから、最近たいへん困ってます)、それ以外のことには「安定成長」なるものを追求する余地が残されている(かもしれない)点です。

だから、いまは、希望的観測ではなく、極めてドライに、「日常的な安定成長」をサポーターも甘受しなければならないんじゃないかと思うんですね。

何が言いたかったかと申しますと、

いまや、日本サッカーは「右肩上がり」を求められるような幸せな時代ではないのであるまいか。

2002年当時と現在を比較するのは、財界人がバブルを懐かしむのと同じようなことではないだろうか。

現在の日本サッカーのサポーターには、まずは現実を受け止めて、持続可能な「安定成長」を模索することも求められているのではなかろうか。

という三点です。

ちなみに、先々週のエントリーで述べた「勝ち点2」というのは、持続可能な「安定成長」はこんなところじゃなかろうか、という個人的見解だったんですね。